2016年06月08日

食卓

6月も第2週になり、
刻一刻と今年も半分終わろうとしています。
月日は無情にもと思うのは、
少しずつ別れが増えていくこと、
これは人生の後半に行けば行くほど避けられない現実で、
過日も陶器店の石川さんのことで思い知りました。

この世との別れもありますが、
常連さんの中には定年退職される方もちらほらと、
そうなるとどうしても店との距離が遠くなる、
実質、別れです。
時々「あの方どうしてるかな?」と、
AMANEで大騒ぎしてた頃を懐かしく思い出す、
「またひょっこり来るかな?」と、
廊下の扉を眺めたりするのです。

水商売は人を好きにならなければ出来ない仕事です。
自分というものを持ちながらも、
相手のことを受け入れて、
それでも必要以上に相手に立ち入らない、
もっと言えば、変な気持ちにさせない、
とてもバランス感覚のいる仕事だと思っています。
出来るかどうかは別として (笑)

ですから、ふと梅雨のように心が湿った時、
別れのことが頭を過ぎり、
自分も含めて殆どが若くない周りを見渡し覚悟する、
「いよいよ」
「店も」
「後半戦なのか・・・」
野球で言えば、何回でしょうか。
麻雀なら南入とか (笑)

そうそう、今日が祖父の命日です。
六本木で働いている頃は、
ずいぶん祖父や祖母の住む麻布の家に遊びに行きました。
僕と一回りくらい上の叔母もいて、
思えばまだ叔母も当時は30代だったか、
他愛もない話で盛り上がったのをよく覚えています。
「あまね君、あまね君」と可愛がってくれた、
かなり危なっかしい僕を (笑) ですよ。

台所に大きな食卓がありました。
よくそこで座ってお喋り、昼食などご馳走になったのですが、
その食卓は、今、父のところにあります。
古典講座の打ち合わせは、その食卓でするのですが、
「こんなに小さかったっけ?」と不思議になります。
子供の頃だったらわかります。
でも、麻布にしょっちゅう出入りしてた頃は大人の身体、
それなのに何故・・・

あの頃大きく感じたのは、
「夢の大きさからだった?」

遠い、果てしない未来を、
あの場所で感じていた・・・
本当は、
狭い台所でそんなに大きくもない食卓だった・・・
おもしろいですね。

久しぶりに店に来る方が、
「あれ」
「ここ、こんなに狭かったっけ?」と仰ることがあります。
それも同じことでしょうか。
現実とはそういうものかも知れません。
posted by セキシュウ at 20:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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